恥をかかないとでも思ってる恥ずかしさ #08

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恥をかいているシーンを見るのが苦手だ。
現実世界でだけでなく、コメディドラマで大げさな勘違いやすれ違いなどで登場人物が恥をかくことになると、もちろんフィクションだとは分かっていても、テレビのリモコン片手に隠れながら見たいほど、なにか暴かれてしまってアタフタする姿はいたたまれない。

でも、大恥は一度かいてしまえば笑い話になるし、ちょっとした厄落としのようなものにも思える。
確かに形無しになる姿は苦手だが、乗り越えたあとは晴れやかだ。

なんとなく、距離を感じる人というのがいる。
別に誰でも近い必要はないと思うけど、共通点があるように思う。
なにを考えているのかつかみづらく、いま何がしたいのか、どんな気持ちでいるのか共感しにくい。
それは単純に価値観が違う場合もあるだろうし、もっとシンプルに嫌いなだけってこともあるだろう。

もし上記2つも当てはまらず、そうでもないはずなのに距離を感じる人たちは、もしかして恥をかかないようとり繕っているのかもしれない、と思った。
無意識に。

これがなかなかやっかいで、大人になればなるほど恥ずかしさの免疫が下がるんじゃないかと思った。
だから、意識するよりも先に「認められたい」「期待に応えたい」とう本能が働いて巨大な防護壁を作っていて、勝手に距離を感じているだけかもな、と思った。

恥をとり繕っているシーンがいちばん恥ずかしい。
恥はかいてしまえば愛嬌になる。
だから、防御本能が働いてしまうことも加味してだな、積極的に恥はかいていければ、なんかいろいろうまくいくんじゃないの、と思った。

眠くて上手くまとめられないけど、とりあえず「一日一投稿」のための、今日の考えごと成果を投稿しておくよ。

写真は鉄輪でみつけた、大胆な解像度の桃太郎看板。
このくらい大胆に恥をかけるのはもはや芸だ。

2119(17分)

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