本当の恋愛を知らない #10

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酔っています。

今日は朝もはよから歯医者に行って、仕事で携わったイベントに行って、20代後半の激務を一緒に駆け抜けた戦友のウェディングパーティーに行って、よく分かんないメンツのめっちゃ笑った飲み会へ行った。

とても楽しく、大人らしいざっくばらんであけすけな掛け合いが楽しい飲み会だった。

そのメンツではわたしの恋愛観がネタになることが多く、今日も盛大にいじられた。(興味を持ってもらえてありがたい)

恋愛観のみならず、全体的に常識や当たり前、ふつうといった平均的趣向を持ち合わせないわたしは、いつも絶妙にズレている。

わたしに言わせれば、出会ってもいない人を想定して人生設計は出来ないし、自分のしあわせを出会ってもいない人に託すことはできないから、Aプランとして「ひとりでも楽しく」を指標にしている。
これは、仮に誰か良い人が見つかったとしても平均して男性の方が早死するため、基本スキルとして持ち合わせておいた方がいいもの、という判断だ。本当にしあわせになりたいなら、2人になったときより、ひとりになった時のしあわせを担保しておいた方が意味があると考えるからだ。

でもこれは一般的な考え方じゃないらしい。
ふつうはいまわの際に子供や孫に看取られたいと考えるそうだ。

当然ながら出産は一人では出来ない。
それに、たとえ二人になったとしても子どもを作れるとは限らない。
だからそんな偶然の副産物みたいなことは、しあわせの条件として考えるに値しないと思っているのだけど、どうやらそれって「常識外れ」らしい。

そんな説明をしていて「コヤナギは本当の恋愛をしたことがない」と指摘されてしまった。

いままでの恋愛観をザッと話した上でそう判断されるならそうなのだろう。わたしは当事者の主観なので「本当」のチェックリストを持っていない。わたしはわたしの恋しか知らないので、それが「本当の恋愛」でないというなら、そうなのかもしれない。

でも、わたしは別に「本当の恋愛」がしたいとは別に思わないのだ。 
しあわせでいられるならなんだっていい。
浅はかな恋愛でも、未発達で未完成な恋愛でも、偽物の恋愛だって別に良い。
相対的な評価はどうだっていいんだ。

わたしにとってそれがしあわせと感じるなら、それは全部「本当の恋愛」で良いんじゃないかと思うし、一人でいてしあわせなのは当たり前なことで、それより高いか深いか分からないけれど、「一人で得るよりも難しい二人のしあわせ」を願うのは当然のことだと思っている。

二人でないと不幸せなのは結果論で、一人でもしあわせだけど二人だとまた違う周波数でしあわせを感じるのではないかと推測して、わたしはわたしなりに恋を探している所存です。
2356(20分)

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