安くて美味いは正義 #12

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生パスタが食べたくてGoogle Mapsで検索しただけだった。

その日は珍しく根詰めて仕事に打ち込み、なにか美味しいものが食べたいと思ったのだ。
以前暮らしていた家の近くに創作イタリアン店があり、よく利用していた。
晩酌セットと名付けられ、パスタの前に小鉢とワインがついてくる。少ししょっぱめの味付けはワインが進んだ。

そこの店の売りは和伊折衷な創作イタリアンだったわけだけど、使っているのが生麺だった。
それまでパスタ麺の良し悪しなんて、ゆで加減以外に区別がつかなかったが、生ならではのもちもちとしつつもしっかりとコシのある噛み応えはわたしの中で「美味しい」と記録された。

たった4丁目分の近隣引越ではあったけど、何の変哲もない住宅街へは足が向かず、創作イタリアン店へ行かなくなった。
行かなくなったことを意識もしない日々で、たまたまふと、疲れた日に思い出したのだ。

「そういえば、生麺のパスタが美味しかった」と。

ちょうどそこの頃、Google MapsのCMがたくさん流れていて「オッケーGoogle、近くの海に行きたい!」みたいな、無茶な要望がまかり通っていたときだった。

わたしも軽い気持ちでGoogle Mapsにたずねたのだ。
シンプルに、「生パスタ」と。

意外と引っかかったGoogle Mapsの応答力に驚きつつ、その精度は実際に行って確かめて見るべしと、一番近場の店舗を目指した。なにしろこちとら、疲れている。

その時は仕事を頑張ったご褒美飯のつもりだったので価格帯なんてどうでも良かった。
だけどたどり着いたのは冒頭の写真のとおりの食品サンプルだった。

ミートソース420円て、サイゼリア?

この際サイゼでと良いとさえ思った。
そのくらい疲れていた。

安くて美味しいものが大好きだ。 
高くてマズいものは論外だし、高くて美味しいのは当たり前で、安くてマズいものも然り。

安くて美味いものは情報戦なのだ。
賢くてそれに相当する人物の元にのみ、口コミという賜り物が廻ってくる。
だから、安くて美味いものは、何倍にも美味い。

だからこの奇妙な価格帯にわたしは喜ばなかった。
いまは当たり前で良かったのだ。
少し高くても美味しいものを食べて慰労したかった。
だけどあいにく、次の店へ向かう元気もない。
ここはひとつ「冒険」モードとしゃれ込もう。
追い込まれたら楽しむのがコヤナギの極意なのだ。

風俗案内店の路地を曲がり、雑居ビルの階段を上がる。
小さなエントランスで待っていたのは看板ではなく食券機。ああいっそ、小気味が良い。

小銭を放り込み、「伝説のミートソース420円」などといった、助長的なメニューのボタンを押す。下方には「赤ワイン250円」とな。いったれ、いったれ。この世は夢よただ狂へ!

内装だけは、窓際にワインの空き瓶をディスプレイするなど、低予算ながら洒落が利いている。渋谷なりの身なりを整えようとしているのか。
席はカウンター一列で、食券を渡すと素早く赤ワインがサーブされた。マズくはない、程度の感想しか持てないワイン舌で味わいつつも、空腹を警戒してちびちびとパスタを待った。

まずくても生パスタなのだ。
以前暮らしていた環境の良さを再認識できるなら、それだけでも儲けものじゃないか。
まったく期待しないまま、パスタを待った。

いっちょ前なお皿に盛られたパスタが目の前に登場した。
太麺をチョイスしたのはわたしだが、こみれよがしのその太さ。今日日つけ麺でももう少しスリムだろう。
皿だけでなく香りもいっちょ前だ。
生意気な、食ってやる!

慣れたてつきてフォークをさばき、素早く麺をからめとる。ぽってりとしたミートソースはぽろぽろと肉片をこぼしつつもしっかりその太麺にしがみついてきた。
ふうむ、おぬし、なかなかやるな。
どうやらただの安さ推しではない様子。
いざ、尋常に勝負とばかりに口へ放り込む。
噛み混むより早く鼻から抜ける、赤ワインで蒸されたデミグラスソースと牛肉の香り。
こいつ、出来る、そう思ったときには遅かった。
奥歯をしっかりと受け止めて、剛を制す柔の生パスタが口の中で光っていた。
一瞬出来事に戸惑い、反射的に赤ワインを煽ったが、コレが致命傷となった。

マリアーーーーーージュ……!

う、美味い。


そんな風にして、わたしとこの名店との初戦を終え、それからわたしにとってかけがえのない店となった。

え?
どこかって?

だからさぁ、安くて美味いっていうのは情報戦なのだよ。
この場合は、ただの運だったけどね。
2115(11分)

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