寂しがり屋ではなさそうな件


同じ言葉を使っていても、誰しも同じ意味で使っているわけじゃない。

友人のある一言を聞いて、わたしはすかさず大辞林のアプリを立ち上げ、言葉を調べた。

さびしがりや【寂しがり屋・淋しがり屋】
普通の人よりも敏感に寂しさを感じる人。

なるほど。

わたしは自分が「寂しがり屋である」という自覚があったが、それが揺らいだため言葉をしらべた。

友達が放ったセリフとはこうだ。

「失恋がつらくてひとりになるのがいや」

曰く、ひとりになるとその人のことばかり思い出されて切ないから、誰かと一緒にいたいんだそうだ。

わたしにはそんな発想がなさすぎて、衝撃だった。寂しいからといって誰でもいいから一緒にいて欲しいだなんて、思ったことがない。

(食欲がないから、誰かと一緒に食べたい、はあったけど)

寂しさを感じるのは、会いたい人に会えないときだ。

また、会える関係性でない人に会えないときは、寂しくない。そのとき感じるのは寂しさではなくて、会える関係性でない残念さだ。

会える関係性の会いたい人に会えないときに、寂しい。

よく「ドライな性格をしている」といわれるけれど、どっこいわたしだってその人のことで頭がいっぱいになるくらい寂しさを感じる。

ただ、頭がいっぱいだから、他に注意が払えず、ひとりになりたくてしかたなくなるのだ。
代替品では満たされないので、心ゆくまで渇けるよう、ひとりになりたがる。

確かに、カラカラに渇くのはつらい。
長く耐えられない。
だから「会える関係性」であることを辞めたくなるのだ。
辛すぎて耐えられないから辞める。
つまり別れるか諦めようと考える。

そんなふうにすぐ気持ちが切迫してしまう自分は「寂しがり屋」に違いないと考えていたが、先ほど友達の話でその考えが崩壊した。

とても会いたい人に会えるまで、誰とも会わなくて良いと思っているわたしは、どうやら「寂しがり屋」ではないようだ。

寂しがり屋ではないと結論づけられてしまった自分が、なんだか寂しい。いやこれは残念さか。

写真は寂しさの象徴として消えゆく花火。

あ、でもさ、寂しさっていうのは花火みたいに、一度はパッと咲いて華やかに満たされたことがある証拠だから、きちんと寂しさを感じられるっていうのはしあわせがあった証拠だね。

寂しさいいなぁ。

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