小さな星の住み心地
アドラーで「自分で都合の良い性格を選んでいる」というのを読んで、すごく納得した。
わたしは、自分の性格は自分自身で作っていると思いたい方だ。
家庭環境や幼少の頃の体験は確かにとても大きな影響を受けるけれど、何があったかより、その出来事をどう受け止め処理したかが重要だと思う。
また、直後はAという箱にしまっても、あとから思い起こしてBの箱に入れ替えることだってできる。
自分の不都合に気が付いて絶望したら、軌道修正は可能だ。いきなり治らないけれど、3年くらいあれば、信念や性格、物事のとらえ方、感じ方って変えられると思ってるし、自分を変えてきたっていう自覚がある。
もともとこんなに素直じゃなかった思う。
だけどそのせいで、人を傷つけることを知って落ち込んだ。
気をつけて、気を使えれば良かったんだけど、どうも鈍くて器用に立ち回れそうもなかった。
だから疑ったり構えたりすることをやめて、ノーガード戦法に切り替えた。
最初は反射的に斜めに構えていたけれど、いまやずいぶん素直になった。
余計な深読みもしないし、まあいいかってパッと手放せるようになった。恥をかくのもこわくない。(相対的に)
かつては心配で思い詰めすぎて、いつだって胃は痛かったし呼吸は浅くて肩は上がりっぱなし。自分の気持ちを追い込みすぎて、しょっちゅうストレス性の膀胱炎になっていた。
その思い詰め力があったから、推し進められたこともたくさんあったから、振り返れば良かったことだけど、とてもしんどかった。
とてもしんどかったし、そんな自分にうんざりしたから、本気で変わりたくて、性格を変えてきたと思ってる。
「本質的なところ」は変わってないのかも知れないけど、自分の本質なんかはよく分からなくて、ただ物事の感じ方は、しんどかった頃の印象とはずいぶん違うんだろうなと思うまでになった。
ここで怒ってただろうなーというところも、ずいぶんかわせるようになった。
だって意識して変えてきたもの。
やっと気をつけなくても、素直に受け止められるようになってきたんだもの、と「気がつけば遠くへ来たもんだ」とばかりに誇らしく思う。
生きるに必死であるときでさえ、自分の腹をどこに置くかは選択出来ると思う。
ただ、最低限「自分はどう感じているのか」見つめられる客観性は必要だと思うから、内省力は必要なので、それがない人には難しいのかも知れない、とは思う。
思い詰めるタイプのひとは、内省力があるんだと思う。
だからさ、分かるようで、分からないんだよね。
「自分が嫌い」な人の気持ちが。
嫌いになるほど自分を見てるのに、どうしたら好きになるのか考えないなんて。
うまくいかないことや、うまが合わない人はどうしてもいるけどさ、自分に絶望するような大失敗だっておこるけどさ、変えられるのは自分しかないんだよ。
自分という小さな星の平和くらいなんとか保ちたいし、しょせん自分の星しか統司できないのだ。
外でなにが起きようとも、自分の平和は築きたい。
なにが書きたかったか分からなくなっちゃったけど、そろそろ夢という大気をまとった睡眠の星へ出張です。
おやすみ。
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