明日から始まる「一日一投稿。」 #00

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ブログサービスを使っている人を乱暴に総称する「ブロガー」という言葉がある。
いまやいちツールに過ぎないブログをとってひとくくりにするとは、「インスタグラマー」と比べると大胆なセグメントだなと思わざるを得ないけれど、それほどブログの歴史は古い。(他のネットサービスと比べ相対的に)

わたしもブロガーの一員として何かの施策に参加させてもらうようになり、局所的にだけれど「ブロガー」と知り合う機会が増えた。
先日、ブロガーとして訪れたチェコは「ブロガーツアー」と題され、取材者8名の全員がブロガーというものであり、その即時性やバイタリティの高さに感服したものだ。 

同ツアーでご一緒したブロガーの「ねんざB」さんが、ブロガーを対象に興味深い運動を始めるということで参加させてもらうことにした。

それが表題の「一日一投稿」である。

一ヶ月間、毎日ブログを1投稿して、志をともにするブロガーのコミュニティ(Facebookグループ)に報告しよう、というものだ。

ここ1・2年、自分のブログ(KoyanagiYu.com)をポートフォリオだと思って記事構成をしっかり考えて投稿することにした。
「ついほかの記事を読みたくなる」ブログにしようと、記事数をしぼる作戦だ。
これは投稿数を抑えることで、濃厚な記事を見てもらえる機会が増え、作戦としては成功していると思う。

その一方で、軽率な投稿が減るのは「書き手」としては良くないな、とも思っていた。

本音というのはポロリとこぼれるものではないと思う。

そりゃ、年に1度程度なら“こぼす”ことも可能だろう。
だけど“コンテンツメイク”と思うと、「年に一回の珠光の一言」は更新頻度が低すぎる。

本音力には筋トレが必要だ。

あらかじめたっぷり考えておくか、軽率に発言しまくることから「面白い一節」は生まれると信じて止まない。

そう考えるといまのブログ投稿サイクルでは、頻度が低すぎるし使う筋力が違うと考えていた。

巨匠や文豪、メンヘラでない凡人だからこそ、不用意にこぼさなくてならないのではないのか、と。

その一方で「でもそんな習作、誰得なの?」と思うと、意欲が削がれた。人間はただ生きるだけでもそれなりに忙しいのだ。だれも見ない投稿に注意を向けない理由はいくらでもある。

なのに今回は、「一日一投稿」という習作の連続を、志を同じくするブロガーが少なからず見てくれるかもしれないのだ。
本ブログではない、ここ「140w Over」で綴るならポートフォリオの濃度も薄まらないだろう。

ならば挑む価値があるのでは。

見られているからこそ書ける投稿を、いかに軽率に投げられるだろうか。

「一ヶ月」は明日から始まる。 


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