退屈とダイヤモンド

幸せの反対は不幸じゃなくて不満じゃないかと思う。

不幸は不可抗力だけど、幸せと不満は受け止め方だ。
そして変な話、不幸な方が小さな幸せに気がつきやすくて、多幸感に包まれやすいように思う。

恵まれてると欲が出て、不満を感じて幸せのハードルを上げる。
辛いときにはカウントされていたはずの、小さな幸せは四捨五入の余地なく切り捨てだ。


だから幸せ基準で人生を突き詰めるのなら、面倒ごとを引き受ければいい。険しい道を歩めばいい。心持ち一つで「なんでもない幸せ」がすぐ見つかって、幸福体質になるだろう。受け止めかが重要だけどね。

幸せは簡単だ。
難しいのは得をしようと思うからだ。
不幸なんて回り道をせず、幸せを掴もうとするからだ。
不幸せのない毎日は退屈だ。
退屈なのは恵まれて守られているからだ。

でもね。

実は不幸も不可抗力じゃないの。
自分で選んだ道なの。
それが分かっていて分け入るいばら道は、くっそ痛いけれど、目的地に向かっている、という幸せがあり、退屈とは程遠い。

で、いまのわたしは満足感もあって幸せいっぱいのいばら道。
旅は道連れとはいうけれど、忍びないのでひとり股旅。

今日も西から東へ。
誰にも見えない、触れない、ダイヤモンドを抱えて暮らしてる。

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